戦後の日本は、米国の大量生産方式を取り入れ、それによって高度経済成長を成し遂げ、GNPで世界第2位を実現した。この大量生産方式を中心とした産業、とりわけ鉄鋼、化学などの重化学工業は、1970年代にピークを向かえ、電気機器や自動車などの組み立て産業も、1980年代が絶頂期であった。1990年代以降これらの製造業は成熟期を過ぎ、生産の拠点はより労働単価の安い中国などのアジアの国々に移転し、日本のこれらの製造業は競争力を低下させ、産業の空洞化が叫ばれるようになった。
1990年代以降は、サービスやソフトを中心とした新しい産業に転換しつつあり、産業の交代期にあるといえる。
この戦後50年の間に、品質管理というテーマに関し、経営手法の国際移転が米国と日本の間で何度かあった。アメリカから学んだ経営手法を日本が導入し、さらに発展させ、成功させると、今度は逆に日本における手法を導入しさらに発達させるというような経営手法の移転が品質管理の分野で行われた。
戦後の日本の品質管理活動
①大量生産方式と統計的品質管理の導入
・日本の産業界は、大量生産の製品に関する品質管理という考え方を、1950年代に初めて米国から教えられた。それまでは、職人の技に支えられている生産方式であり、一つ一つの製品を職人が誇りを持って生産、検査するという考え方であった。
・戦後、日本の通信機器を軍需物資として購入した米軍は、それらの製品に不良品が多いのに困り、日本の産業界に品質管理の考え方(統計的品質管理)を教える必要に迫られた。そこで米国の品質管理の権威であったデミング博士を招いて、日本の各地で講演会を開いた。
デミング博士の公演は、当時の日本の産業界に大きな感銘を与えた。大量生産方式では、部品も製品も標準化され、お互いに互換性の効く部品同士を組み合わせて製品にする。部品は、互いに全く同じに作られていなくてはならない。部品の中に標準から外れたものが1つでも混じると、それを使って組み立てた製品全体が無駄になる。
従って、部品段階で不良品を発見し、早い段階で原因を究明し、悪い所を改善して、不良品が出ないように手を打たなければならない。
不良品を発見するために、どのようにサンプル検査を組み込んだらよいか、、また不良品の発生割合と原因分析を実施し、どのように改善処置を取るのかなど統計的品質管理が導入された。
また、品質管理運動で顕著な実績を上げた企業は、デミング博士の寄贈により創設されたデミング賞を授与することになった。