情報の特性 価値・可視性・多義性
概要
- 日程: Day 1 / セッション 5
- 時間: [13:00-13:30]
- 形式: 座学
- ゴール: 情報の「価値」「可視性」「多義性」をそれぞれ具体例つきで説明できる。こうもり問題がなぜ起きるのかを一文で言える
- 学習形式: 対話型解説
導入(5分)
午前のセッション4で、あなたは開発テーマを決め、20個以上の情報を並べた「情報定義書」を作りました。お疲れさまでした。まずはその情報定義書を手元に開いてください。このセッションの主役は、まさにその一覧です。
ここで質問です。あなたの情報定義書に並んだ20個の情報は、全部「同じ種類のもの」に見えますか?
じっと眺めると、実は性格の違う情報が混ざっていることに気づくはずです。
- 誰かにとってすごく大事な情報と、正直どうでもよさそうな情報
- 数字や文字としてはっきり見える情報と、「なんとなく」としか言えない情報
- どのカテゴリに置けばいいか迷う、居場所の定まらない情報
この3つの「性格の違い」が、今回学ぶ情報の3つの特性、価値・可視性・多義性です。この3つを見分けられるようになると、午後の整理・分類作業の精度が一気に上がります。逆に見分けられないまま分類を始めると、必ず途中で手が止まります。なぜ止まるのか、その理由も今回明らかになります。
本編(20分)
1. 情報の「価値」 誰にとっての価値か
セッション3で学んだ定義を思い出してください。「データに価値を与えたものが情報」でした。では、ここで少し考えてみてください。その「価値」は、誰が決めるのでしょうか?
答えは「情報の受け手」です。価値は情報そのものに宿っているのではなく、受け手との関係の中で生まれます。
具体例で確かめましょう。「2026年7月6日の東京の降水確率90%」という情報を考えます。
- 明日東京へ出張する人にとっては、傘を持つかどうかを決められる高価値な情報です
- 沖縄で在宅勤務する人にとっては、行動が何も変わらない低価値な情報です
同じ情報なのに、価値が正反対です。つまり情報の価値を語るには、必ず2つの問いに答える必要があります。
- 誰の価値か(受け手は誰か)
- 何を提供する価値か(受け手の何を助けるのか。判断、節約、安心、楽しみ…)
家計簿システムなら、「先月の食費合計」は「節約したい一人暮らしの会社員」に「使いすぎの早期発見」という価値を提供します。一方、同じ数字も「経費精算だけしたい営業部長」には価値がほぼありません。
この「誰の」を具体的な1人の人物像として定義したものがペルソナです。次のセッション6で、あなた自身の開発テーマのペルソナを実際に作ります。価値の話は、まっすぐペルソナにつながっていきます。
コード例・実例
同じデータでも、受け手が変わると情報としての価値が変わる例です。
データ: 「7/6 コンビニ ¥680」
受け手A: 節約中の本人
→ 「今週のコンビニ出費、もう3回目だ」=行動を変えるきっかけ(高価値)
受け手B: 税理士
→ 事業経費でないなら記帳対象外(ほぼ無価値)
受け手C: コンビニ本部のマーケター
→ 購買傾向データの1件(集計されて初めて価値が出る)
「¥680」というデータは1つ。しかし情報としての価値は受け手の数だけ存在します。
ここがポイント
- 「この情報は価値があるか?」という問いは不完全。正しくは「誰に、何の価値があるか?」
- 情報定義書の各行に「誰のため?」と自問すると、要らない情報・足りない情報が見えてくる
- 「誰に価値を提供する情報なのか」は、この研修4日間を貫く最重要の問い
コラム
「価値は受け手が決める」を突き詰めた商売があります。江戸時代の「紙くず買い」です。庶民が捨てる反故紙(書き損じの紙)を買い集め、再生紙業者に売って生計を立てていました。捨てた人にとって価値ゼロの紙が、別の受け手には商品になる。現代のデータビジネスも構造は同じで、あるサービスの「ログの残りかす」が、別の会社には喉から手が出るほど欲しい学習データだったりします。「ゴミか宝かは受け手が決める」は、情報の価値の本質を突いた言葉です。
2. 情報の可視性と「可視化」 見える情報・見えない情報
2つ目の特性は可視性です。情報には「見える情報」と「見えない情報」があります。
具体例で対比しましょう。買い物のあとに残るものを考えてください。
- レシートに印字された「¥680」という金額は、見える情報です。誰が見ても同じ値を読み取れます
- 一方、「この店、なんか割高な気がする」というあなたの感覚は、見えない情報です。あなたの頭の中にだけあって、印字も保存もされていません
見える情報は記録・共有・計算ができます。見えない情報はできません。しかし、ここが重要なのですが、見えない情報が無価値なわけではありません。「割高な気がする」という感覚は、店選びという行動を実際に左右する、価値の高い情報です。
午前に触れたSECIモデルを思い出してください。見えない情報は暗黙知、見える情報は形式知に対応します。そして暗黙知を形式知に変換する操作、つまり見えない情報を見える形にすることを、情報の「可視化」と呼びます。SECIモデルでいう「表出化(Externalization)」です。
「割高な気がする」を可視化するなら、たとえばこうなります。
- 「この店の卵は10個入り¥320。近所のスーパーは¥248。差額¥72、約29%高い」
感覚が数字になった瞬間、他人に伝えられて、記録できて、比較できるようになりました。情報システムの仕事の大半は、実はこの可視化です。家計簿システムは「お金の使い方の感覚」を、レビューサイトは「店の良し悪しの感覚」を可視化しています。
ここで自分の情報定義書を見てください。並んでいるのはほとんど「見える情報」のはずです。では、あなたのテーマのユーザが頭の中に持っている「見えない情報」で、可視化したら価値が出そうなものはありませんか? 思いついたらメモしておきましょう。思いつかなければ「家計簿システムのユーザが持つ暗黙知を5つ挙げて」のようにAIに聞いてみましょう。
コード例・実例
家計簿システムでの可視化の例です。
見えない情報(暗黙知) 可視化した情報(形式知)
--------------------------------------------------------
「今月使いすぎな気がする」 → 予算残額バー: 食費 ¥28,400/¥30,000(残5%)
「コンビニに寄りがち」 → 店舗別回数ランキング: コンビニ 14回/月
「給料日前はいつも苦しい」 → 日別残高グラフの月末の下り坂
左の列はユーザの頭の中にしかありません。右の列にした瞬間、システムで扱えるようになります。
ここがポイント
- 見える情報=形式知、見えない情報=暗黙知。可視化=暗黙知を形式知に変換すること(SECIモデルの表出化)
- 見えない情報は見えないだけで、価値はしばしば「見える情報」より大きい
- 良い情報システムのアイデアは「価値ある暗黙知をどう可視化するか」に隠れていることが多い
コラム
哲学者マイケル・ポランニーは「我々は語れる以上のことを知っている」という言葉を残しました。自転車に乗れる人は乗り方を「知って」いますが、その知識を言葉で完全に説明できる人はいません。これが暗黙知という概念の出発点です。よく使われるのが氷山モデルのたとえで、水面上に見える形式知はほんの一角、水面下に巨大な暗黙知が沈んでいるとされます。熟練の寿司職人の「シャリの握り加減」をセンサーで計測して機械に写し取る、といった試みは、まさに水面下の氷山を引き上げる作業です。あなたの開発テーマの水面下には、何が沈んでいるでしょうか。
3. 情報の「多義性」 こうもり問題の予告
3つ目の特性は多義性です。多義性とは、同じ1つの情報が、見る視点によって別のカテゴリに属してしまう性質のことです。
古典的な例が「こうもり」です。こうもりは乳で子を育てるので、哺乳類の視点では獣に分類できます。同時に翼で空を飛ぶので、飛ぶ生き物という視点では鳥にも分類できてしまいます。どちらの分類にも一応の筋が通っている。これが厄介なのです。この「どちらにも分類できてしまう問題」を、本研修ではこうもり問題と呼びます。
大事なのは、こうもり問題が起きる理由です。一文で言えます。
分類は情報そのものではなく「分類する人の視点(前提・目的)」によって決まるから。
こうもり自身は何も変わっていません。「子育ての仕方」で見るか「移動の仕方」で見るか、視点が2つあるから答えが2つになるのです。
ここで、あなたの情報定義書の出番です。**自分の情報定義書の中から「多義的な情報」を探してみてください。**2分ほど眺めてみましょう。
家計簿システムなら、たとえば「コンビニでの支出 ¥680」。中身がおにぎりと洗剤だったら、これは食費でしょうか、日用品費でしょうか。節約の視点なら「コンビニ出費」というくくりが便利かもしれず、栄養管理の視点なら「外食・中食」に入れたくなるかもしれません。ほかにも、「Amazonでの買い物」は書籍費か娯楽費か、「友人との食事代」は食費か交際費か。探すと必ず見つかります。
見つからない場合は、AIにこう聞いてみましょう。「私の情報一覧を貼ります。複数のカテゴリに分類できてしまう情報はどれですか? それぞれどんな視点だと、どのカテゴリになりますか?」
多義性を放置して分類を始めると、「これはどっちだ…」で必ず手が止まります。解決の鍵は「誰の視点で分類するかを先に決める」こと。つまり、ここでもペルソナです。さらに視点だけで決まらないものは要件定義で決着させます。この続きは、次のセッション6でこうもり問題を実際に体験しながら確かめます。
コード例・実例
多義的な情報の例です。同じ情報が視点によって別カテゴリに入ります。
情報: 「7/6 コンビニで購入 ¥680(おにぎり2個+洗剤1本)」
視点A: 栄養を管理したい人 → カテゴリ「食費(中食)」に置きたい
視点B: 日用品在庫を管理したい人 → カテゴリ「日用品費」に置きたい
視点C: コンビニ依存をやめたい人 → カテゴリ「コンビニ出費」に置きたい
→ どれも間違いではない。視点が決まらない限り、答えは決まらない
ここがポイント
- 多義性は情報の欠陥ではなく、ごく普通の性質。むしろ多義的な情報こそ設計の要注意ポイント
- こうもり問題が起きる理由: 分類は情報ではなく「分類する人の視点」で決まるから
- 対策の方向: 視点を決める=ペルソナの定義(セッション6)、それでも残る曖昧さ=要件定義(Day 2以降)
コラム
「1つの絵が2通りに見える」現象は、心理学では多義図形と呼ばれます。有名なのがルビンの壺です。白い壺に見えていた絵が、次の瞬間「向かい合う2人の横顔」に切り替わる。しかも壺と横顔を同時に見ることはできません。ゲシュタルト心理学は、人間が「何を図として、何を地として見るか」を無意識に選んでいることを示しました。情報の分類もまったく同じで、私たちは無意識に何らかの視点を選んでから分類しています。こうもり問題でモメる2人は、実は「別の絵」を見ているのです。だから議論の前に「今どっちの見方をしてる?」と視点を確認するだけで、争いの大半は消えます。
3つの特性の関係
最後に、今回の3つの特性がこの研修のどこにつながるかを地図にしておきます。
3本の矢印がすべて、午後の残りのセッションと今後の設計作業に合流していくのが見えるはずです。
💬 AIに聞いてみよう
このセッションの内容を、AIとの対話で自分の言葉にしてみましょう。質問例です。
- 「私の開発テーマは『(あなたのテーマ)』です。このシステムの情報の中で、ユーザによって価値が大きく変わる情報を3つ挙げて、誰にとって高価値で誰にとって低価値かを説明して」
- 「私の情報定義書を貼ります。この中で多義的な情報(複数カテゴリに分類できる情報)を指摘して、どんな視点だとどのカテゴリになるか教えて」
- 「SECIモデルの表出化について、家計簿アプリを例に説明して。私の説明『暗黙知を形式知にすることが可視化』が正しいかどうかも判定して」
まとめ(5分)
今回学んだことを一言でまとめると、「情報には価値・可視性・多義性という3つの特性があり、3つとも『誰の視点か』を決めないと扱えない」です。
- 価値: 誰の・何を助ける価値かで決まる → だからペルソナが要る
- 可視性: 見えない情報(暗黙知)を見える情報(形式知)にするのが可視化 → システムの仕事の中心
- 多義性: 同じ情報が視点しだいで別カテゴリに入る → こうもり問題
次のセッション6では、こうもり問題を三段論法で実際に「体験」し、その解決策としてあなたの開発テーマのペルソナを1人定義します。「だからペルソナが要るのか」と腹落ちする45分になるはずです。
🔄 振り返りチェック
- 「先月の食費合計」という情報について、価値を感じる人と感じない人を1人ずつ挙げ、理由を言えますか?
- あなたの開発テーマで「見えない情報を可視化する」例を1つ、暗黙知→形式知の形で言えますか?
- こうもり問題がなぜ起きるのか、一文で言えますか?
言葉に詰まったら、該当トピックを読み直すか、AIに「ヒントだけください」と頼んでみましょう。
補足資料
- 参考リンク:
- 野中郁次郎・竹内弘高『知識創造企業』(SECIモデルの原典)
- マイケル・ポランニー『暗黙知の次元』
- 「ルビンの壺」「多義図形」で画像検索(多義性の視覚的体験)
- 発展課題:
- 自分の情報定義書の各情報に「主にこの情報で助かる人」を1人ずつメモしてみる(セッション6のペルソナ定義の下準備になる)
- 「レビューの星の数」は見える情報か、見えない情報の可視化か。SECIモデルの言葉で説明を書いてみる
学習ガイド
想定される質問と回答例
| 質問 | ヒント |
|---|---|
| 価値のない情報はデータに戻るのか? | 「誰にとっても価値ゼロ」は考えにくい。受け手が変われば価値が生まれ得るので、「今の受け手にとって価値がない」と表現するのが正確 |
| 可視化すれば暗黙知は全部形式知になる? | ならない。ポランニーの言う通り、語れる以上のことを知っているため、可視化は常に一部の切り取り。だからこそ「誰にとって価値ある部分を切り取るか」が設計判断になる |
| 多義的な情報は分類のときにコピーして両方に入れてはだめ? | 両方に入れる設計(多重分類・タグ方式)も実在する。ただし「どちらが主か」を決めないと集計や画面設計で破綻しやすい。決める基準がペルソナと要件 |
| 「価値」「可視性」「多義性」の3つはどれが一番大事? | 価値が土台。可視性も多義性も「誰にとって」を決めて初めて扱えるので、3つとも「誰の視点か」に帰着する |
つまずきやすいポイント
| つまずきポイント | ヒント |
|---|---|
| 「価値がある情報」を、誰にとってかを言わずに判断してしまう | 「価値がある/ない」と言いたくなったら、必ず「〜さんにとって」を頭につけて言い直す練習をする。つけられなければ、まだ受け手を決めていない証拠 |
| 可視性(見える/見えない)と可視化(変換の操作)を混同する | 可視性は情報の状態、可視化はその状態を変える動詞。「レシートの金額は可視性が高い」「割高感を数値にするのは可視化」のように使い分けて音読してみる |
| 自分の情報定義書から多義的な情報が見つけられない | 「この情報、別の人ならどのフォルダに入れる?」と1件ずつ自問する。それでも見つからなければ情報定義書をAIに貼って「複数カテゴリに入り得る情報はどれ?」と聞く |
| こうもり問題を「分類が下手な人の問題」だと誤解する | 分類スキルの問題ではなく、情報が本質的に持つ性質。誰がやっても起きる。だから仕組み(ペルソナ・要件定義)で解決する |